教育と療育についての自分なりの捉え方

現代社会において、教育は必須ですね。

しかし、本当の教育とはなんなのか?少しだけ考えてみました。

教育とは?

僕の中での教育のイメージとしては、与える事!自分の知識や経験を相手に伝えるのではなく、与える

単純に考えると「教わる?」「教える?」というイメージが強いと思っている方は多いのかな?と…学校はそのようなイメージが強いのかと思いますが?

確実に勉強という事を学校という場で、「教えて習う」、意味は教える側、習う側と分かれてしまっているイメージです。あくまでわたしの教育のイメージです。

知識や経験、または情報などを教える。伝える?

ただ、自分は多少違った考えです。これは児童心理士の先生と出会い、また、自分の子から学びました。

最近は、偉そうに言うと若い子たちに、「指導」する機会が増えてます。もちろん自分に向いているのか?自分ではわかりませんが…

自分は「指導」や「教える」というタイプではないと思っています。どちらかといえば、育てる側かもしれません。

ただし、これからは、私のようなオッさんは若い子からから学び、育てる必要があります。時代は日々変化し、多種、多様な世の中になって来ています。

自分の若い時の美容師としての指導、教育方法学はめちゃくちゃでした。今思うとゾッとします😭ありえん…『一つだけ暴露すると、サシピンを鼻に突っ込まれる』もちろん鼻血💥ブー🐽

もちろん、これは教育ではなく、イジメですね💩

しかしこれからは、オリジナリティー(その人に合ったやり方)を教える、育てる側が勉強する必要があると感じています。

では、私も実践し、今も学なんでいる事について話します。教える側の考え方はそれぞれ違いますし、違っていいと思います。それを前提として考えてください。

療育とは?

療育とは決して、障害者の子(何度も言ってますが、普通と障害という言葉は嫌い) だけではありません。

大人に対しても、教える相手に対しても私は、ひとにより教え方は違っていいと思います。それを実践し、学んでいる現状です。学べる環境はいいですよ🤙❤️

では、本題の療育という私なりの考えをお話しします。

療育とは、相手の良いところを引き出してあげるイメージであり、頭に叩き込むよりも、一緒に考えてあげ、それができた時は一緒に喜ぶことだと、思っています。

与えるだけでは、相手が理解しないかぎり何の意味もない、ただの教える側の自己満足で終わるように感じています。

僕は、相手の表情や様子を観察します。一番は目を見る。一緒にこちらがなげかけた事に対して、表情や目や様子をみてあげ、提案をする。それによっては、やり方も変えます。

療育の一番必要な部分は、わたしなりですが、臨機応変にコミニケーションをとり、一緒に考えてあげることが、相手にも、自分にも必要だと感じてなりません。

要するに、提案をしてあげることが必要だし、それを作るのは相手であると思います。

中々、言葉として返せない人もいるかもしれません。ですが、目や表情で返す人もいるのです。それを理解しないかぎり成立しないと考えます。

まとめると🤙🌈💁‍♂️

教える側の一つの目線だけで相手は変わると思っています。

いつも思うのは、自分の頭の中を柔軟に考え、関わってあげる私たちが目線を多く持つことが必要なのではないかと?

教育、療育!という名だけでなく、いつも偏りのない目線で、相手の選択肢や、寄り添うこと、そして自分自身で考えてあげれる環境を作ることが、私たちには大切なのかと思っています。

自分の子や、指導中の子、今まで関わってきた人たちに私は学び、教えてもらいました。

一番は、私が療育を受けているのかもしれません…🤙🌈❤️

アロハCWBの基本理念を忘れず、これからも一人一人に寄り添い、激励し続けていきたいと思っています。アロハの心で🌈

そして、隔たりなく人に接してくれることを切に願います🙇‍♂️😇