会話と対話の違い

軽井沢のジブリのパン🍞

会話すること

石井です。会話するってなんだと思いますか?世間話?噂?㊙️?色々ありますね。

お互いの細かい事情や来歴を知った者同士のさらなる合意形成に重きを置く。

すでに知り合った者同士の楽しいお喋りのこと。

日常会話のお喋りには、他者にとって有益な情報はほとんで含まれていない。

と、調べると出てきます。普段の会話とはよく聞くと思います。

毎日というのが大袈裟でないほどに新しい言葉が生まれているネット上のコミュニケーションですね。

しかし、本当に必要なことってなんなのか?最近は凄く感じることがあります。

それは、会話でなく、対話!!

対話することの意味

異なる価値観のすり合わせ、差異から出発したコミュニケーションの往復に重点を置く。

他人と交わす新たな情報交換や交流のこと。

僕自身、今現在、対話の重要性を痛感しています。というか、勉強させてもらっています。

会話と対話を比較すると、この両者がまったく異なっていることがわかります。

そして私たちの周りには「会話」はあふれていますが、「対話」が少ないことに気づかせてくれます。

コミュニケーションという名で交わされているのが、その内実は仲間だけで使われている言葉のやりとりだったりします。

それは仲間の一体感・共有観を高めることになりますが、同時に他者を排除するイジメの構造を生み出すことにもつながります。

「ハブる」というのは「会話」(仲間)に入れないこと、入れさせないことだと思います。仲間(グループ)に従わない他者を排除する力が生まれてきます。ここには対話を拒否する意思が見え隠れします。

対話を拒否する心の底にはなにがあるのでしょうか。そこにあるのは異なる価値観を認めず、自分の価値観を絶対視しようとしている意思です。

ですから自己の価値観を相対化され、時には欠陥を露呈されてしまうこともある対話をどこか恐れているのです。

強権的な人ほど対話というものを避けています。彼らが望むのは一方向のメッセージであり、それに同調し、従う仲間だけです。

もちろん会話を一概に否定しているわけではありません。

ですが会話はお互いの確認であり、同意同調を強くするためのものだといってもいいでしょう。

困難に打ち勝ち、未来を切り開いていくのは“対話の精神”です。

──対話とは、他者との異なった価値観の摺り合わせだ。そしてその摺り合わせの過程で、自分の当初の価値観が変わっていくことを潔しとすること!

あるいはさらにその変化を喜びに感じることが対話の基本的な態度である。

SNSが常態化しているなかで、言葉は溢れかえり、また新語が生まれ、また忘れられていきます。

この言葉の渦のなかに「対話」はあるのでしょうか。むしろ「会話」ばかりではないでしょうか。

それどころか自己の価値観のみを絶対視する一方通行の言葉の暴走がしばしば見うけられます。そのような今だからこそ“対話の精神”が必要なのだと思います。

ですから、私はとことん相手の目を見て、対話交流することにしています。

相手の話を自らの口から聞かなければ上手く伝わらないことはあります。

対話の基本とは

相手との対立を見ないようにする、あるいは避けようとする態度を捨て、むしろ相手との対立を積極的に見つけてゆこうとすること。


相手と見解が同じか違うかという二分法を避け、相手との些細な「違い」を大切にし、それを「発展」させること。

これに尽きると思います。古い人間ですが、グローバルの重要性もあります。

しかし、最後は人と人が自分の口で語り合う。これこそが必要な事であり、共感や信用、信頼につながると信じ、福祉の世界でも、理美容の世界でも、そして何より、人と人の心の繋がりを大切にしたいと思います。